こんにちは。
いつもブログをご覧頂きありがとうございます。
当ブログでは終末期医療や肺炎、人工栄養について何度か書いています。
今回は「ACP(advance care planning:アドバンスケアプランニング)と倫理的問題」について深掘りしていきます。
人生の終末期には必ずといっていいほど倫理的問題が関係して来ます。
たとえば嚥下機能に問題のある人に対して
- 経口摂取をどうするか
- 人工栄養を導入するかどうか
- 治療をどこまでするか
などさまざまな倫理的問題に対処する必要があります。
倫理的問題を検討するにあたっては4つのポイントを使って話し合う必要があります。
これは
- 医学的適応
- 本人の意向
- 周囲の状況
- QOL
この4つの項目に分類し、各項目に入れるべきことを出し合って、最終的に本人にとって何が最善かを検討する事が大切です。
特に高齢者の終末期では、 現在の「本人の意向」がわからないことが少なくないです。
いわゆる終末期には70%くらいの人が意思決定能力を喪失しているといわれており、人生の最終段階になって初めて本人の意向を聞いても、適切な意思表示ができないことの方が多です。
よってもう少し早い段階で、本人に終末期の意向を聞いておく必要があります。
目次
アドバンスケアプランニング(ACP) | 人生の最期と倫理的問題
まずは医学的適応(Medical Indications)について
善行と無危害の原則
- 患者の医学的問題は何か?病歴は? 診断は? 予後は?
- 急性か、慢性か、重体か, 救急か?可逆的か?
- 治療の目標は何か?
- 治療が成功する確率は?
- 治療が成功しない場合の計画は何か?
次に患者の意向(Patient Preferences)について
自律性尊重の原則
- 患者には精神的判断能力と法的対応能力があるか?能力がないという証拠はあるか?
- 対応能力がある場合、患者は治療への意向についてどういっているか?
- 患者は利益とリスクについて知らされ、それを理解し同意しているか?
- 対応能力がない場合、適切な代理人は誰か?その代理人は意思決定に関して適切な基準を用いているか?
- 患者の事前指示はあるか?
- 患者は治療に非協力的か、または協力出来ない状態か?その場合なぜか?
次にQOL(Quality of Life)と周囲の状況(Contextual Features)について
善行と無危害と自律性尊重の原則
- 治療した場合、あるいはしなかった場合に通常の生活に復帰できる見込みはどの程度か?
- 治療が成功した場合、患者にとって身体的・精神的・社会的に失うものは何か?
- 医療者による患者のQOL評価に偏見を抱かせる要因はあるか?
- 患者の現在の状態と予測される将来像は延命が望ましくないと判断されるかもしれない状態か?
- 治療をやめる計画やその理論的根拠はあるか?
- 緩和ケアの計画はあるか?
忠実義務と公正の原則
- 治療に関する決定に影響する家族の要因はあるか?
- 治療に関する決定に影響する医療者側(医師・看護師)の要因はあるか?
- 財政的・経済的要因はあるか?
- 宗教的・文化的要因はあるか?
- 守秘義務を制限する要因はあるか?
- 資源配分の間題はあるか?
- 治療に関する決定に法律はどのように影響するか?
- 臨床研究や教育は関係しているか?
- 医療者や施設側で利害対立はあるか?
ACP(advance care planning:アドバンスケアプランニング)とは
ACP(advance care planning:アドバンスケアプランニング)とは
将来の意思決定能力の低下に備えて、今後の治療療養について患者家族と医療従事者があらかじめ話し合う自発的なプロセスといわれています。
話す内容は
- 患者本人の気がかりや意向
- 価値観や目標
- 病状や予後の理解
- 治療や療養に関する意向
- その提供体制
これらについてなどであり、一度話して終わりではなく、定期的に見直されケアにかかわる人々の間で共有されることが望ましいとされています。
それでは終末期の高齢者といつからACPを始めればよいのでしょうか?
多くの人は話すべきタイミングが来たら話そうと考えていますが、いつからが終末期なのか不明確であることに加えて、いざ終末期と思われる状況になったら約70%の人が意思決定能力を喪失しているといわれているので、なかなか簡単にはいかない現実があります。
ACPは早い段階で始めると、不明確で不正確なものになり、また遅すぎてもうまくいかないため、タイミングを逃さない実施と多くの人は見直しが必要で、とくに健常人では半分近くの意向が変わるともいわれています。
であれば元気な状態でのACPに意味はないのでしょうか?
残りの人生の過ごし方や自分の意向などを話せる存在だと思ってもらえることがある。
本人が人に話すことで初めて自分の考えを認識したり、その後自分の生き方を考えるきっかけになることがあります。
今後の自分の残りの人生について考え、相談できる相手であると思ってもらえることも重要です。
終末期の高齢者において適切なACPとは
元気なうちから話しておくのが望ましいのですが、病状が変化したときにタイミングを逃さず、その都度話していく必要があります。
具体的には
- 認知機能が低下してきたとき
- 肺炎で入院したとき
- ADLの変化があったとき(とくに介助が増えた場合)
将来のゴールについて、患者、家族と話して合意できればよいでしょう。
終末期の高齢者では、最終的に本人が意思決定能力を喪失していることは多いですが、このように本人・家族・医療・ケアチームが話し合いを重ねていると、本人の現在の意思がわからなくても、家族を含めた1つのチームで本人にとって何が最善かが共通認識となることが多いです。
このように元気なうちから本人・家族と話し合い、価値観をある程度把握し、時にはみんなで悩みながら方針決断をしていくプロセス全体がACPにとって、特に終末期の高齢者のような病態では重要です。
ACPの影:関係性ができていないのに土足で踏み込む
初対面の人にいきなり「どこで死にたいですか?」と聞かれて素直に自分の気持ちを話せるでしょうか?
相手の準備段階を把握し、感情に考慮しながら関係性ができてきた時に切り出すなどの配慮が必要です。
話し合いが行われても
- 人工呼吸器をつけるかどうか
- 心肺蘇生をするかしないか
などの具体的な医療行為をするかどうかばかりに医療者の関心があり、二者択一で選択を迫ることが多いです。
医療行為をするかしないかが目的ではなく、その背景にある価値観や目標が大事なので、そのような話し合いを重ねた結果、理解が深まるのであれば良いですが、最初からイエス・ノーを迫ることを目的にしてはいけません。
医療者の価値観を押しつける
家での介護が限界な家族に対して「家で亡くなるのが絶対にいいです!」といって無理を強いたり「胃ろうは絶対しないほうがいいです」といって、一時的に胃ろうから栄養を補給しながら嚥下訓練をすれば再度食べられる可能性を摘んだりするようなことがよくあります。
相手のことを常にわかったつもりにならずに、自分の価値観を押しつけず、複数の関係者の意見を摺り合わせてバランスを取ることは忘れてはいけません。
揺れることを許容しない
健康なときには全く思いもしなかったことを、病気になってから初めて気がつくこともあったり、急性期病院に入院しているときには弱気になっていたが、退院して体調が回復してきたらもう少しがんばろうと思えることなどはよくあることです。
医療者はとかくはっきり決めたがり、相手の考えが変わることにネガティブな感情を抱く人もいますが、最初から考えは移ろいゆくものと思っていれば、感情が揺さぶられることも少なくなります。
決められないことを耐えながら、話し続けていくことが大事です。
特定の人としか話していない
主治医とだけ話されていて、主治医不在の時にどのような話し合いがされていたか全くわからないことや、診療所で長年かかわってきてACPも行われていたが、急性期病院に入院した際にその情報が全く引き継がれていないことも多いです。
本人·家族に情報を共有してもよいか確認しているのが前提でありますが、情報共有の仕方や地域での情報共有を考えていく必要があります。
地域での共有ツールなどの取り組みや、エンディングノートなど書き込むタイプのものも普及してきています。
そのようなものを使うのも1つの方法ですし、情報提供書を記載する際に医療者がACPのことを意識して記載し、受け取る側もそれをもとに「かかりつけの先生のところではこのようなことを話していたと伺っていますが今はどうですか?」など、その情報を活用し、再度病院でのACPに関する話し合いの内容を申し送る文化を作っていくことが重要です。